
彼女とは月に何度かデートをしています。
一緒に街を歩いたり、おいしいものを食べたり。
時にはホテルで、ふたりだけの時間を過ごすこともあります。
でも、いつでも会えるわけではありません。
お互いにそれぞれの生活があります。
そんな私たちが先日、ちょっと変わったデートをしました。
彼女は彼女の家。
私は私の家。
離れた場所にいながら、同じ時間に同じ映画を観ることにしたのです。
観た映画は、
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
でした。
「今日14時から観よう」
きっかけは、何気ないやり取りでした。
「そういえば、特攻隊員とのラブストーリーの映画を観たんだけど、観たことある?」
「あるよ。でも、途中まで」
彼女は途中まで観ていたようです。
「最後は感動して泣いちゃうよ」
「私ももう一度、観てみようかな」
彼女と私は同じ動画配信会社に入っています。
「じゃあ、同じ時間から観ようか」
そんな話になりました。
映画館で隣り合わせに座るわけではありません。
同じテレビを見るわけでもありません。
それぞれの家で、それぞれの画面を見る。
ただ、スタートする時間だけは同じ。
考えてみれば、不思議なデートです。
今、彼女もこの場面を観ている
映画が始まりました。
私は一人で画面を見ています。
でも、完全に一人で観ている感じがしません。
映画を観ながら、ときどき思うのです。
「彼女も今、この場面を観ているんだな」
彼女はどんな顔をしているのだろう。
笑っているのか。
それとも、涙を流しているのか。
同じ場所にはいないのに、同じ時間が流れている。
なんとも不思議な感覚でした。
会いたくても会えない二人を見ながら
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』は、現代から戦時中の日本へタイムスリップした少女と、特攻隊員の青年との出会いを描いた物語です。
もちろん、映画の二人と私たちを同じように考えることはできません。
置かれている状況がまったく違います。
それでも映画を観ていると、
「好きな人と一緒にいられることは、当たり前ではないんだな」
と思いました。
私たちにも、会えなかった時期があります。
会いたくても会えない。
声を聞きたくても、思うようにはいかない。
そんな時間を経験してきました。
だからでしょうか。
画面の向こうの物語を観ながら、私は何度も彼女のことを考えていました。
映画が終わって
エンドロールが流れます。
好きなのに、一緒にはいられない二人。
その姿を見ながら、ふと今の自分たちのことを思いました。
私たちは毎日一緒にいられるわけではありません。
でも、会うことはできます。
メールを送ることもできます。
そして今日のように、離れた場所から同じ映画を観ることもできます。
それだけでも、十分に幸せなことなのかもしれません。
そして、ほぼ同じ頃。
彼女も映画を観終えているはずです。
彼女からのメールの着信音が鳴ります。
「観たよぉ。涙を抑えきれない」
「何度観ても、最後は泣けるね。
でも俺たち、離れていても同じ映画を観られるんだね」
「そうそう。私たちは幸せだよね」
一人で映画を観たときとは違います。
同じものを観たから、
「あの場面、よかったね」
「あそこは切なかったね」
と話せる。
同じ映画を観たというだけなのに、二人の間に新しい思い出が一つ増えました。
デートは、会うことだけではないのかもしれない
若い頃の私は、
デートとは「会うこと」だと思っていました。
待ち合わせをして、
一緒に食事をして、
手をつないで歩く。
もちろん、今でも彼女と会える日は楽しみです。
でも、こんなデートも悪くありません。
彼女は彼女の家。
私は私の家。
何キロも離れています。
それでも同じ時間に再生ボタンを押し、
同じ物語を観る。
そして映画を観ながら、ときどき相手のことを思う。
身体は離れていても、
気持ちは同じ場所にいたのかもしれません。
映画が終われば、
「泣いたね」
「よかったね」
と話すこともできます。
今度は何を一緒に観ようか。
私たちに、
またひとつ新しいデートの形が増えました。

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