
東京の桜が咲いてから、もう一か月。
街の景色はすっかり春を通り過ぎ、枝先には花びらひとつ残っていません。
今年は彼女と桜を見に行く約束をしていました。
満開の下を並んで歩いて、
少し肌寒い風に肩をすくめながら、
他愛のない話をする。
ただそれだけのことが、私は妙に楽しみだったのです。
けれど、私が鼻風邪をこじらせ、喉まで傷めてしまいました。
結局、お花見デートは中止。
季節は人を待ってくれません。
体調を戻しているうちに、桜は静かに散ってしまいました。
彼女には何度も謝りました。
すると返ってきたのは、
「気にし過ぎ。
お花は桜だけじゃない。
私も梅見をキャンセルしたんだから同じだよ」
優しい言葉でした。
その言葉に救われたのは確かです。
それでも、私の中には小さな棘のように残るものがあります。
彼女と見たかった春
見たかったのです。
彼女と、今年の桜を。
桜そのものが見たいわけではありません。
彼女の隣で春を感じたかった。
満開の木を見上げながら、同じ景色を共有したかった。
季節が巡ったことを、ふたりで確かめたかったのです。
好きな人と見る景色は、
ただの景色ではなくなります。
その年の春そのものが、
少し特別な記憶になる。
だからこそ、今年の桜をひとつ失くしたような気持ちが、今も消えません。
懐かしい歌に連れ戻される
最近、なぜか松田聖子さんの動画をよく見ています。
若い頃はそれほど意識して聴いていなかったのに、
今あらためて見ると、あの可憐さと透明な歌声に目を奪われます。
その中でも、何度も再生してしまうのがチェリーブラッサムです。
弾むようなリズム。
明るく伸びていく歌声。
春がこれから始まるという、あの頃特有のまぶしさ。
聴いていると、胸の奥にしまっていた若い日の感覚がふっと蘇ります。
何かいいことが起きそうで、
好きな人に会うだけで一日が輝いて、
季節が変わるだけで心まで浮き立った、あの頃。
そして今も、
形は違っても私は同じように春を待っていたのだと気づかされます。
彼女と見るはずだった春を。
来年のための小さな約束
見逃してしまった梅。
見逃してしまった桜。
過ぎた季節は戻りません。
けれど、チェリーブラッサムを聴いていると、
不思議と「また次がある」と思えてきます。
来年の春は、きっと彼女と。
今度こそ並んで歩きながら、
今年取りこぼした分まで、ゆっくり花を見上げたいと思うのです。

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