真珠を入れれば女性は感じると思っていた頃

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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あの頃の私は、本気で思っていました。

挿入しさえすれば、
あとは男のテクニック次第で女性は感じるのだと。

だから雑誌に載る“真珠”の話にも飛びついたのです。

男性器に突起があれば、
それだけで相手は歓喜する。

なんとも単純な発想ですが、
若い男には妙に魅力的に映るものです。

要するに私は、
女性の身体をほとんど知らなかったのです。

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挿入の前に決まっていたこと

今の彼女と付き合うようになって、
その思い込みは少しずつ崩れていきました。

最初の頃、私はやはり若い頃の癖が抜けず、
「どう挿入するか」
「どう動くか」
そんなことばかりを考えていました。

けれど彼女は、挿入の前からすでに反応を見せていたのです。

キスをして、
肩を抱き寄せ、
背中を撫で、
耳元に息がかかる。

その段階で彼女の呼吸は少しずつ深くなり、
身体の力が抜けていく。

太腿のあたりがわずかに擦れただけで、
小さく身じろぎする。

私はその変化を見ながら、
「ああ、もう始まっているんだ」と知りました。

勝負は挿入してからではない。

もっと前、
もっと静かなところで始まっている。

ここに気づくまで、ずいぶん遠回りをした気がします。

男は“入れること”に夢を見すぎる

男はどうしても、
最後の挿入に意味を集中させてしまいます。

入れた瞬間。
奥を突く感触。
射精する解放感。

そこにセックスの頂点があると思い込みやすい。

もちろん、それも大切です。

けれど女性の側は、
その少し前から長く続く気配の中で高まっている。

抱きしめられる。
首筋に唇が触れる。
胸元を撫でられる。
太腿をゆっくり開かれる。

その一つ一つが、
身体の奥へじわじわ沁みていく。

だから挿入は、
突然始まるイベントではなく、
すでに熟した流れの延長線上にあるのです。

若い頃の私は、
そこをまるで理解していませんでした。

真珠を入れればどうにかなる。
硬さがあればどうにかなる。
長さや太さがものを言う。

そんな“イチモツ信仰”に近かった。

今思えば、実に浅はかです。

彼女の身体が教えてくれたこと

彼女と長く重ねてきてわかったのは、
女性の快感は一点突破ではないということです。

ここを刺激すれば必ず感じる、
そんな単純な仕組みではない。

その日の気分。
安心感。
こちらへの信頼。
会えなかった時間。
抱きしめ方。
キスの長さ。

そういうもの全部が積み重なって、
ようやく身体が花開いていく。

逆に言えば、
どんなに立派な武器があっても、
そこが欠ければ深い悦びには届きにくい。

彼女が身体を預け、
息を乱し、
私の腕を強く掴む時、

それは私の一物の性能というより、
そこへ至るまでの空気が作り出した結果なのだと思います。

たかが真珠、されど真珠

大学生の頃、
雑誌の片隅で見た“真珠”の文字。

あの頃は、
男の夢と欲望が小さな球に詰まっているように見えました。

もっと女性を感じさせたい。
もっと男として誇りを持ちたい。

そんな焦りにも似た願望です。

でも50年近く経った今、
私はようやくわかります。

本当に女性を感じさせるのは、
埋め込んだ異物ではなく、
相手の身体をどれだけ丁寧に受け止められるかだということを。

真珠は入れませんでした。

けれどその代わり、
少しだけ相手を見る目は育ったのかもしれません。

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