
ふたたびの初めて
今、彼女は膣ケアに取り組んでいます。
オイルを使って、膣口と膣壁を柔らかくするマッサージをしています。
先日聞いた話では、専用のスティックも利用しているようです。
そのおかげか、この前のセックスではスムーズに挿入できました。
彼女が昇天した後も、腰を動かしていると、
両手でシーツをつかみながら、快感に必死に耐えている彼女の姿がありました。
そして、二度目の昇天へと向かいます。
以前、「セカンドバージン」の話を書きました。
コロナ禍で3年ぶりのセックスだったので、彼女も緊張していました。
私は潤滑剤を使い、ゆっくり膣壁をマッサージしていきました。
その日は指を入れるだけでも十分だと思っていました。
でも彼女が、
「できそう」
そう言ったので、ゆっくり合体しました。
お互いに、まるで初めてのような感覚でした。
ただ入れるだけなのに、こんなにも嬉しいものなのかと思ったのを覚えています。


彼女と知り合ったのは、お互い中高年に差し掛かった頃でした。
お互いに家庭があり、子どももいました。
最初の経験について話したことはありません。
だから、本当の意味での「初めて」は知りません。
でも――
3年の空白のあとに再開したセックスは、
私たちにとって、確かに「もう一度の初めて」だった気がします。
入るだろうかという心理的不安。
硬くなっていないかという身体的な不安。
そんなことを考えていました。
でも今は、その時間を乗り越え、
ただ幸せな時間を楽しめています。
処女膜は「なくなるもの」ではない
最近、少し意外な記事を読みました。
「経験の有無に関係なく、処女膜は存在する」
というものです。
私の中では、
処女膜とは初めての性交で破れ、そのままなくなってしまうものだと思っていました。
でも実際は、膣口の周囲にある粘膜のヒダのような組織で、「膜」ではありません。
そのため、「破れる」という表現も正確ではなく、性交を経験しても粘膜のヒダが残っていることは珍しくないそうです。
また、初体験で出血するのも、処女膜が破れたからではなく、濡れていない状態での挿入や無理な挿入によって膣壁が傷つくことが原因である場合が多いそうです。
つまり、
恐怖心がなく、
十分な前戯があり、
身体が受け入れる準備ができていれば、
痛みは少なくなるということなのでしょう。
これは彼女が続けている膣ケアとも同じ理屈なのだと思います。
柔らかいこと。
潤っていること。
それだけで、ずいぶん違うのだと思います。
残っている場合があるということは…
私たちは時々、こんな話をします。
「高校の頃に出会っていたらどうなっていたかな」
彼女とは5歳差です。
高校生と中学生。
大学生と高校生。
そんな「もしも」の話です。
処女性にこだわるつもりはありません。
でも男として、
もしあの頃に出会っていたら。
最初の相手になれていたら。
そんなことを考える時があります。
そして今回、
「経験しても処女膜は残っている場合がある」
ということを知ってしまいました。
彼女は経産婦です。
だから、処女膜はもう残っていないのだろうと思っています。
でも、
もしかしたら……。
そんな想像をしてしまう自分がいます。
残っていても、
残っていなくても、
彼女が好きなことに変わりはありません。
それでも、「もしも」を想像してしまう。
これが男の正直な願望なのかもしれません。

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