性欲は、恥ずかしいものですか?

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

スポンサーリンク

正直に言うと、
私にとって性欲は、
恥じるものでも、
後ろめたいものでもありません。

若い頃からずっと、
そして年齢を重ねた今でも、
それは静かに、自分の中に残り続けています。

むしろ最近は、
「まだ欲がある」
その事実に、
少し安心しているくらいです。

生き物として、
まだちゃんと熱を持っている。
そんな感覚があります。

それなのに世の中では、
性欲だけは今もどこか、
「汚いもの」
「人前で語るべきではないもの」
として扱われ続けています。

その空気感が、
私は昔から不思議でした。

スポンサーリンク

性欲だけ、先生の声が小さかった

学生時代、
保健の授業で聞いた言葉を、
今でも覚えています。

「人間の三大欲求は、
食欲・睡眠欲・性欲です」

その瞬間だけ、
なぜか先生の声が少し小さくなった。

食べることも、
眠ることも、
生きるために必要だと堂々と語るのに、

性欲だけは、
どこか照れたように、
触れてはいけないもののように扱われる。

教室の空気まで、
少しザワついていました。

あの違和感は、
今でも消えていません。

女性は、もっと抑え込まれてきた

男の私でさえ、
性の話題には
「空気を読む癖」が身につきました。

ならば女性は、
もっと長い間、
もっと強く、
欲望を押し込めて生きてきたはずです。

「女なんだから」
「はしたない」
「いい年して」

そんな言葉を、
直接でも、
無言の圧力としてでも、
浴び続けてきたのでしょう。

特に中高年の女性は、

母として、
妻として、
職場では“ちゃんとした人”として、

無意識のうちに、
欲を奥へ奥へと押し込める役を、
引き受けてきたように思います。

みんな、知らない顔をしている

社会の中では、
誰もが
「私はもう関係ありません」
という顔をしています。

恋愛なんて卒業した。
もう枯れた。
そんな空気をまとっている。

でも私は、
それが“演技”だと知っています。

真面目に働き、
家庭を支え、
責任を果たしている人ほど、

ふとした瞬間に、

「ただ抱きしめられたい」
「女として見られたい」

そんな気持ちを、
静かに抱えている。

それは消えたのではなく、
口にしなくなっただけです。

昼の顔と、夜の顔

昼間は、
理性的で、
隙がなく、
きちんとしている女性。

でも夜になると、
ふっと力を抜く瞬間があります。

誰にも評価されず、
誰の期待にも応えなくていい時間。

その時に見せる表情は、
昼間とは少し違う。

安心したような、
諦めたような、
それでいて、
どこか甘えるような目をする。

私は、
あの瞬間の女性の顔が好きです。

一番やわらかく、
一番きれいだと思うからです。

性欲は、「若さ」ではなく「生」

性欲は、
若さの証明ではありません。

まして、
だらしなさでもない。

「まだ生きていたい」
という、
とても自然で、
切実な感覚なのだと思います。

年を重ねるほど、
若い頃のような激しさは消えていく。

けれど欲そのものは、
もっと静かに、
もっと深く、
身体の奥に残っていく。

だから私は、
欲を持ち続けている女性に、
下品さではなく、
人としての豊かさを感じます。

もう終わったふりをして、
何も欲しがらない顔をするより、

ずっと美しいと思うのです。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました