
以前、「男性機能の終わり」と「赤い玉伝説」について記事を書いたことがあります。
「男は高齢になり、射精ができなくなる寸前になると、最後に赤い玉がコロンと出て終わる」
そんな話です。

終わりを意識する
赤い玉伝説を聞いた当時、私は中学生。
射精する気持ちよさを覚えたばかりで、ほぼ毎日のようにオナニーをしていました。
ちなみに、私の田舎ではオナニーのことを「センズリ」と呼んでいました。
今思えば、千回も陰茎をこするほど夢中になるから「センズリ」なのかもしれません。
そんな頃に聞いた男性機能の終焉の話。
もちろん、まったく実感は湧きませんでした。
ところが今は違います。
終わりというものを、少しずつ意識する年齢になりました。
射精の感覚は変わらない
不思議なことに、射精そのものの感覚は若い頃と大きく変わりません。
あの「うっ!」という感覚です。
ただ、よく考えると違いもあります。
若い頃は、身体の中のものをすべて出し切ったような感覚がありました。
今はそこまでの勢いはありません。
そして決定的に違うのが量です。
明らかに少なくなりました。
歳月を重ねたことを、そんなところでも感じます。
今だから思うこと
今はさまざまな治療薬があります。
私もED治療薬の力を借りています。
薬を飲めば、勃起する力に不安はありません。
むしろ持続力は若い頃より安定しているように感じます。
彼女もそのことを知っていますから、デートの時にはミネラルウォーターを用意してくれています。
おかげで、ふたりの時間を穏やかに楽しむことができます。
若い頃は、自分の快楽ばかりを追いかけていたように思います。
でも今は少し違います。
自分自身の快楽は全盛期に比べれば小さくなりました。
その代わり、相手が喜んでくれることに幸せを感じるようになりました。
ED治療薬の力を借りて、充実した性生活を送っています。
薬がなかった時代
私が中学生だった頃には、もちろんED治療薬などありませんでした。
当時の高齢男性たちは、どのように年齢と向き合っていたのでしょう。
おそらく、「勃たなくなったから終わり」という単純な話ではなかったはずです。
生きている根本である生殖能力。
勃起力は徐々に失われ、女性との交わりも難しくなる。
生きている価値も半減したように思ったに違いありません。
でも、あの「赤い玉伝説」が本当かどうかは分かりません。
私はまだ、終焉を迎えたわけではないからです。
けれど、年齢を重ねた今だからこそ思うのです。
男性機能は衰えても、人を愛する気持ちまで衰えるわけではない。
むしろ若い頃よりも、相手を思う余裕が生まれているのかもしれません。

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