道ならぬ恋に、答えてみました。~「不倫のセックスは何が違うのですか?」

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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「不倫のセックスは何が違うのですか?」

きっと質問者は、行為そのものの技巧や強烈さを聞きたいわけではないのでしょう。

好きな人と交わるということ。

それが67歳の私にとって、どれほどの意味を持つのか。

一人の当事者として、ありのままを話してみたいと思います。

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会えない時間

セックスそのものが特別なのではありません。

「会えない時間」の積み重ねが、すべてを変えるのです。

会いたいという切実な気持ち。

あと何日で会えるのかという、震えるような期待。

そうした枯れ木に水をやるような日々が、

二人で過ごす一日を、色鮮やかな特別へと変えていくのです。

つまり、あの時間は会っている時だけのものではなく、

会えない時間にこそ熟成されていたのだと思います。

罪悪感という名の影

道ならぬ恋は、世にいう「不倫」であることは否定しません。

ですから、罪悪感がなかったと言えば、それは真っ赤な嘘になります。

会うたびに、心のどこかで「これでいいのか」と自問自答していました。

ですが、その罪悪感という影は、非日常。

彼女と過ごす安らぎを、より一層際立たせるコントラストのようでもありました。

幸福感と背徳感。

その相反する二つの感情を抱きしめ合いながら、

私たちはただ、その瞬間にしがみついていたのです。

甘美な時間、その正体

ホテルの部屋で、何でもない食事をして、他愛のない話で笑い合います。

肩を寄せ合ってテレビを眺め、互いを抱きしめる。

限られた時間だからこそ、時計の針の音さえ愛おしく、

一分一秒が指の間からこぼれ落ちる砂のように惜しく感じられました。

それは単なる快楽ではありません。

生身の人間と人間が、互いの魂のありかを確かめ合う儀式のようなものだったのです。

触れ合うことの深み

若い頃は、ただ快楽を追い求めていた気がします。

ですが、今は違います。

抱きしめること。抱きしめられること。

相手の体温を通して、

「今日も生きて、ここに会いに来られた」と確認し合うのです。

肉体的な相性も確かにあるでしょう。

けれど、何よりも、「この人に受け入れられている」という圧倒的な安心感。

それこそが、私の孤独を埋めてくれる唯一の救いでした。

15年以上の時を重ねて

もし、セックスだけが目的だったなら、この関係はとうに無くなっていたと思います。

笑い合い、支え合い、言葉にできない寂しさを共有し合う。

そうした心と体の両輪が噛み合っていたからこそ、15年という月日を私たちは歩めたのでしょう。

「不倫のセックスは何が違うのですか?」

もし今、改めてそう問われたなら、私はこう答えます。

違うのは、快楽の質ではありません。

心が満たされた先で、ようやく辿り着ける「深い静寂」のような触れ合いです。

だからこそ、あの時間は、私にとってかけがえのない人生の断片だったのだと思います。

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