
私たちの関係は、世間に向かって堂々と話せるものではありません。
だからこそ、これまでずっと、お互いに気を使いながら付き合ってきました。
「踏み込まない」ことが正解だと思っていた
以前の私は、「相手の現実の生活には踏み込まない方がいい」と思い込んでいました。
相手が話してこないことは聞かない。
余計なことは詮索しない。
それが大人としての配慮であり、この関係を壊さないための正しい距離感だと信じていたのです。
メールが、たまたま届かない日がありました。
理由は分かりません。
電波の問題かもしれないし、ただ忙しかっただけかもしれない。
それでも私は、「何かあったんじゃないか」と想像してしまい、やがてメールが途絶えた時期もありました。
当時の私は、それを「相手を思いやった結果」だと自分に言い聞かせていました。
踏み込まないのは優しさ。
聞かないのは尊重。
そう考えていたのです。
けれど、今になって振り返ると、少し違って見えます。
相手を尊重しているつもりで、実は、自分が背負わずに済む距離を選んでいただけだったのだと思います。
会えない時間。
連絡が来ない時間。
その間、相手がどんな気持ちで過ごしているのか。
そこに向き合おうとすれば、自分の都合の良さや、無責任さを認めなければならなくなる。
だから私は、「距離を保つ」という言葉で包んで、その重さから目をそらしていたのかもしれません。
話すようになって、見えてきたもの
今は、お互いの状況を以前より話すようになりました。
仕事のこと。
日々の出来事。
抱えている悩み。
良き相談相手になれている、そう感じることもあります。
でも、それは単に仲が深まったからというより、相手が過ごしている時間が、現実として見えるようになったからだと思っています。
待つ時間。
予定を調整する時間。
何も言わずに飲み込んだ時間。
それらは、手帳に書き込むことはできません。
けれど、確実に積み重なっていくものです。
「今は仕方ない」
「この関係だから」
そう言えば、自分をいくらでも楽にできます。
でも、納得していることと、何も失っていないことは同じではありません。
昨年、三度の旅行に行きました。
朝を迎え、夜を越え、日常の延長として一緒に過ごす時間。
その中で私は、彼女の時間を自分の都合の合間に当てはめてきた部分があったことに、否応なく気づかされました。
気持ちが解き放たれた、そう言うこともできるでしょう。
でも私には、それ以上に、時間の重さを現実として感じたという感覚の方が強く残っています。
彼女の時間を、軽く扱ってはいけない
私は、彼女の時間をどこまで分かっているのだろうか。
正直に言えば、今もすべて分かっているとは言えません。
ただ一つ、以前よりはっきりしたことがあります。
彼女の時間は、私が軽く扱っていいものではない。
私の都合の中で、消費していいものではない。
そのことを自覚しているかどうか。
それが、この立場にいる男性が最初に問われることなのではないか。
私は、そう思っています。

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