
ライン
彼女は、彼の腕枕にそっと包まれながら考えていた。
あの日のラインのことを。
彼女が職場でキャビネットから書類を取り出している時、ラインの到着を知らせる音がした。
♪ピポ、ピポ、ピポ…♪
彼からのラインの知らせだ。
彼女は手にしていた書類を急いで机の上に置き、スマホを取り出してラインを開いた。
そこには目を疑う言葉が並んでいた。
「あなた、会ったわね。あれほど会わないって誓ったじゃない。
人として最低ね。職場にばらすわよ。
この泥棒猫!!」
彼の奥さんからだった。
動揺する気持ちを抑えながら、彼女はこう返した。
「私は飲み友達でしかありません。
今、仕事中なのでこれ以上ラインを見ることはできません。
疑われるようなことをしてしまい、申し訳ありません」
それから奥さんからラインが来ることはなかった。
飲み友達
彼女はお酒を飲むのが好きだった。
好きというより、仕事のストレスを発散するためだった。
ある日、職場で声をかけてくる男性がいた。
「大丈夫?
かなりストレスが溜まっているみたいだけど」
そこには彼の優しい笑顔があった。
別の部署の男性だったが、時々彼女の職場に来ていた。
「ここでは話しにくいこともあるんじゃない?
今度、飲みに行く?」
今まで特に意識したことはなかった。
でも、心が疲れていた彼女にとって、それは救いの言葉だった。
「えっ?
いいんですか?
グチばかりになってしまいますよ」
特別好みのタイプではなかった。
それでも、飲みに行く約束をしてラインを交換した。
数日後、職場から少し離れた酒場で酒を酌み交わした。
お互い仕事内容を知っているだけに話は合った。
彼もまた同じような不満を抱えていた。
酔うほどに会話のテンポは合い、心地よさが増していく。
彼女は少しろれつの回らない口調で言った。
「今日はありがとうございました。
たくさんグチを聞いてもらって、スッキリしました」
「僕も楽しかったよ。
前から気になっていたんだ」
それから何度か一緒に飲んだ。
そのたびに、心地よい会話と酒に酔っていった。
そしていつしか、家でも頻繁にラインを交わすようになっていた。
あなた、誰?
最初は人目を避けて会っていた。
ある日、彼の行きつけの飲み屋へ連れて行かれた。
大きくはないが、落ち着いた雰囲気の店だった。
この頃には週に1~2回は飲みに行く仲になっていた。
それでも彼女の中では、彼はあくまで飲み友達だった。
恋愛感情はなかった。
いつものように会話を楽しんでいると、
突然、店の戸が大きな音を立てて開いた。
バタン!!
「あんた!! やっぱり女と会っていたのね。
誰、この人。
あんた!! 誰!?」
現れたのは彼の奥さんだった。
最近帰宅が遅かったため、店まで来たらしい。
女性と飲んでいる姿を見て、怒りは爆発した。
「あの…私は職場の同僚で、飲み友達です」
彼女は小さな声で答えた。
「もう会わないで!!」
奥さんの剣幕に押され、
「もう…会いません…」
そう答えるしかなかった。
「あんた!!
何か言いなさいよ!!」
怒りは彼へ向いた。
「本当だよ。
職場のグチを聞いているだけだよ」
ごめん。迷惑かけたね
翌日、彼が職場に現れた。
「ごめん。昨日は迷惑かけたね」
帰宅後、奥さんに責められ、二度と会わない約束をさせられたという。
「本当にごめん。
話していて楽しかったから、つい誘ってしまった。
たしかに怪しまれる回数だったね」
彼は気まずそうに笑った。
「ううん、とんでもない。
私こそ楽しかったわ」
彼女はそう答えた。
彼は同志であり、仲間だった。
恋愛感情はなかった。
疑われるようなことはしていないという自負もあった。
その後も回数は減ったが、一緒に飲む関係は続いた。
飲みに行く中で、いろいろなことがあった。
一度、酔いつぶれてラブホテルに泊まったこともあった。
それでも、指一本触れなかったし、触れさせなかった。
ただ、既婚者同士だったため、言い訳には苦労した。
そして――
冒頭の「奥さんからラインが来た事件」が起きた。
彼女は一瞬迷った。
もう会うのはやめようとも思った。
それでも今は、
もっと深い関係になり、
交際は続いている。
彼の腕に包まれて
今、彼女は彼の腕に包まれている。
男女の関係になって久しい。
部屋には彼の好きな軽いジャズが流れている。
腕の中で、彼女は言った。
「奥さんから職場でラインが来た時は、本当にドキドキしたわ。
返信するだけで精一杯だった」
8年前の出来事だった。
彼が頻繁にスマホを見ることを怪しまれ、奥さんがスマホを取り上げて送ったものだった。
「そうだね。いろいろあったね。
あの頃は疑われることはなかった。
でも今は……ね」
彼は軽くキスをして、抱きしめる腕に少し力を込めた。
この話は、以前のブログ記事「呼ばざる客」の知人から聞いた話を記事にしました。


コメント