
恋をしていると、「待つ」という時間が生まれます。
会える日を待つ。
メールの返事を待つ。
電話を待つ。
たった数時間が、とても長く感じることもあります。
私は17年間の恋の中で、「待つ」という時間を何度も経験してきました。
そして67歳になった今、ふと思うのです。
待つことも、愛なのだろうか。
若い頃は「待つ」のが苦手だった
42歳の頃の私は、待つことが苦手でした。
一人目の大阪の彼女と出会った頃です。
早く会いたい。
早く返事がほしい。
会えない時間は、不安ばかりが膨らんでいました。
待つことは、苦しみでしかありませんでした。
彼女とはメル友として知り合い、一年後、初めて会いました。
そこから恋人へと変わっていきます。
東京と大阪。
遠距離恋愛です。
もし最初から恋人を探していたなら、大阪の人を選ぶことはなかったでしょう。
簡単には会えない距離だからです。
会いたい。
でも、会えない。
そのもどかしさが、恋心をさらに募らせていきました。
あの頃の私は、恋に夢中で、待つことよりも「早く会いたい」という気持ちの方がずっと強かったのです。
今の恋は、「待つ時間」が教えてくれた
50歳のとき、今の彼女と出会いました。
母の介護がきっかけでした。
最初は介護認定について助言をしてくれる存在。
それが少しずつ、お互いにかけがえのない存在へと変わっていきました。
彼女とは、気がつけば17年という歳月を重ねていました。
その17年間には、会えない日が数え切れないほどありました。
仕事。
家庭。
それぞれの事情。
会いたくても会えない。
そんな時間を何度も重ねてきました。
特に、コロナ禍で途絶えた3年間は、忘れることのできない時間です。
彼女は仕事柄、人一倍感染に気を遣わなければなりませんでした。
再会のきっかけは、彼女から届いた一通のメールでした。
「お元気ですか?」
その一文だけで、3年間という時間が一気に縮まったような気がしました。
会えなかった間に、私は腰痛と重いドライアイに悩み、彼女は頻繁なめまいに苦しんでいました。
お互い少し歳を重ね、少しだけ弱くなっていました。
だからこそ、再会できた喜びは以前よりも大きかったように思います。
今では以前にも増して定期的に会い、健康のこと、仕事のこと、家庭のことを語り合っています。
そんな何気ない時間が、今の私たちには何よりも大切になりました。
待つことは、信じることだった
40代の頃の私は、
「どうして連絡が来ないのだろう」
「どうして会えないのだろう」
そんなことばかり考えていました。
でも今は違います。
相手にも生活があります。
家庭があります。
仕事があります。
だから、すぐに返事が来なくても不安にはなりません。
待てるのは、
相手を信じているから。
そして、自分も信じてもらえていると思えるからです。
その信頼があるからこそ、連絡の取り方や会う約束など、お互いが無理をしない付き合い方を自然に続けることができています。
待つ時間が、愛を育てる
すぐに会える恋も素敵です。
でも、待つ時間があるからこそ、再会したときの喜びは何倍にもなります。
何気ない会話。
手をつなぐこと。
一緒に食事をすること。
そんな当たり前の時間が、何よりも特別なものになります。
待つ時間は、決して空白ではありません。
その時間にも、相手を思う気持ちは静かに育っているのです。
私なりの答え
67歳になった今、思います。
待つことは、何もしない時間ではありません。
相手を信じ、
相手を思い、
次に会える日を楽しみに生きる時間です。
若い頃は、待つ時間が恋を苦しめました。
でも今は、待つ時間が恋を育ててくれています。
だから私は、
待つことも、愛なのだと思っています。
恋をしている限り、私たちは何かを待ち続けるのでしょう。
その時間さえも愛おしいと思えるようになった今、私はようやく、恋のもう一つの意味を知ったような気がしています。

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