恋を重ねて、見えてきたもの①~愛とは何だったのか

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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67歳になって、ふと思うことがあります。

「愛とは何だったのだろう。」

若い頃は、「好き」という気持ちだけで十分でした。

会いたい。

触れたい。

一緒にいたい。

それだけで幸せだったように思います。

でも、年齢を重ねるにつれ、その答えは少しずつ変わってきました。

私は42歳と50歳で、二度、道ならぬ恋を経験しています。

その二つの恋は、私にまったく違う「愛の形」を教えてくれました。

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42歳の恋が教えてくれたこと

42歳の頃の私は、恋とは「求めるもの」でした。

会いたい。

触れたい。

もっと一緒にいたい。

そんな思いで胸がいっぱいでした。

相手は大阪、私は東京。

遠距離の恋でした。

だからこそ、一緒に過ごせる時間は何よりも大切でした。

そして、その幸せを失うことばかりを恐れていました。

今振り返ると、若さゆえの情熱に支えられた恋だったように思います。

50歳から始まった今の恋

50歳から始まった今の恋は、もう17年になります。

途中、会えない時期もありました。

コロナ禍で離れてしまった3年間。

そして、再会。

若い頃のような情熱だけでは、この年月は歩んでこられませんでした。

長い時間の中で、愛の形は少しずつ変わっていったのです。

愛は「与えること」だった

以前の私は、

「相手に何をしてもらえるか」

をどこかで求めていました。

でも今は違います。

「相手が安心して笑ってくれること」

その方が、ずっと嬉しいのです。

手をつなぐこと。

一緒にご飯を食べること。

他愛もない会話をすること。

そんな何気ない時間が、一番幸せだと思えるようになりました。

それでも恋には苦しみがある

もちろん、恋は幸せだけではありません。

道ならぬ恋だからこその葛藤があります。

離婚。

老後。

病気。

将来への不安。

さまざまな現実が、私たちの前に立ちはだかります。

それでも、この恋は続いています。

私なりの答え

67歳になった今、私はこう思います。

愛とは、相手を自分のものにすることではなく、

相手の人生が、少しでも穏やかで幸せであってほしいと願うこと。

そんな気持ちなのではないか、と。

若い頃には分からなかった答えです。

17年という時間が、私に教えてくれました。

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