新・象さんの楽園

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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昨日、スポーツジムへ行ってきました。

マッサージ機も完備されており、老いた体にはまさに天国。

筋肉をほぐしてストレッチ。

そこから筋トレとランニングマシンで、心地よい汗を流します。

一汗かいた後に待っているのは、至福のバスタイム。

しかし、そこで私を待っていたのは「象さんの楽園」でした。


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老象の群れ

かつては若い人も一定数いたものですが、ブームが去ったのでしょうか。

今は圧倒的にお年寄りが目立ちます。

66歳の私などは、ここではまだ「若い方」に分類されるほど。

入り口の傘立てに「杖」が置かれている光景も、珍しくありません。

バスルームでは、必然的に老いた象たちがブラブラと歩き回ります。

見たくはなくとも、視界に入ってしまうもの。

男が持つ象の収まるべき場所は、ただひとつ。

愛する女性の「蜜壺」です。

「この中で、象本来の機能を果たしている人は、一体何人いるのだろうか」

そんな思いを馳せてしまいます。

愛する彼女がいる私としては、この時点で思わず「勝利の雄たけび」を上げたい気分になるのです。


若い象への余計な心配

たまに、若い人もバスルームを利用しています。

しかし私が見る限り、いわゆる「皮を被った象」が多いように見受けられます。

「この人は、象の機能をしっかり果たせているのだろうか」

お節介ながら、ついそんな心配をしてしまうのです。


私の場合

聞きたくもない話でしょうが、私の場合についても少し。

完全に剥けているわけではないので、仮性包茎とのボーダーラインといったところでしょうか。

大きさに関しては、周囲の象たちと比較しても引けを取らない自負があります。

膨張率までは定かではありません。

ただ、彼女との営みにおいて、彼女はいつも満足してくれます。

それ相応のものは、しっかり備わっているのだと確信しています。


男の象と女の蜜壺

せっかく男と女として生まれてきたのです。

生物学的には「種の保存」が目的でしょう。

しかし、生きている存在価値の究極は、男の象を女性の蜜壺に収めることにある。

私はそう考えています。

世の中には、男と女しかいません。

成熟した男女が交わらないのは、生まれてきた事実をないがしろにしている気がしてならないのです。

人の価値観は多種多様であり、道ならぬ恋もまた一つの形でしょう。

ただ、彼女との交接に真実の悦びを見出している自分を、私は少し誇らしく思います。

そして、こんな私に寄り添ってくれる彼女に、心から感謝するばかりです。

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