信じていたものが崩れる瞬間 ~映画「あの娘の神様」を観て~

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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ある映画を観ました。

内容そのものよりも、最後のどんでん返しと、人間の心理描写が印象に残った作品でした。

まず、この映画にはこんな言葉が出てきます。


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言葉の仕掛け

「シーダ・カーナ」(女性信者)
→中出し(逆読み)

「キーカ・スーマ」(教団幹部)
→マスかき(逆読み)

「アージミ・ラーク」(祈りの言葉)
→クラミジア(逆読み)

最初はただの宗教用語に見えますが、後になって意味が分かる仕掛けになっています。


喫茶店での密談

物語は、喫茶店で男女が密談している場面から始まります。

男はスクープを狙う雑誌記者。

女は宗教団体の信者で、元ソープ嬢。

記者から金をもらい、教団の内部情報を流しているようでした。

記者は彼女にこう言います。

「教祖と寝ろ。スクープが欲しい」

彼女は即座に拒否します。

「嫌よ。それより今月分をちょうだい」

その時、記者が外を見ると、教団幹部が数人こちらを見張っていました。

裏切りは完全にバレていました。


山の中の処刑場

場面は山の中に移ります。

記者は穴を掘らされています。

明らかに、自分を埋めるための穴です。

周囲では信者たちが祈り続けています。

「アージミ・ラーク」

記者は女性信者に訴えます。

「借金を返してやったじゃないか。
 そのおかげで自由になれたんだろ」

幹部は女性信者に問います。

「シーダ・カーナ。そんな話は聞いていない」

女性信者は答えます。

「それは事実です。
 キーカ・スーマ。私が救われたのはあなたのおかげです」

この時点で、すでに歪んだ関係が見え始めます。


教祖の登場

そこへ痩せ細った裸の男が連れてこられます。

教祖でした。

「俺は教祖だぞ!」

しかし幹部は冷たく言います。

「教義に反している」

教祖も穴を掘らされます。

信者は祈り続けます。

「アージミ・ラーク」

教祖は女性信者に言います。

「あんなに感じていたじゃないか」

女性信者は答えます。

「あなたは教義に反した」

すると教祖は笑います。

「教義?
 全部嘘じゃ」


すべて嘘だった

教祖は言います。

「逆から読んでみろ」

シーダ・カーナ → 中出し
キーカ・スーマ → マスかき
アージミ・ラーク → クラミジア

「どうじゃ!」

この瞬間、宗教の権威は崩れます。

しかし幹部はなお祈ります。

「アージミ・ラーク」

なぜか。

信じているからではありません。

地位を守るためです。

一方、他の信者は祈るのをやめます。

信じていたものが崩れたからです。


崩れた人間の心

そして女性信者。

救いだと思っていたものが、ただの嘘だったと知ります。

彼女は絶望します。

その直後、機関銃で全員を撃ち殺します。


この映画が描いたもの

この映画が描いているのは宗教批判ではないと思います。

人間の心理です。

人は、

信じていたものが嘘だと分かった時どうなるのか。

幹部は、嘘だと分かっても続けます。

女性信者は、絶望して壊れます。

同じ事実を知っても、人は違う反応をする。

そこが、この映画の面白さでした。

そして何より、

宗教用語だと思っていた言葉が、

ただの下ネタだったという仕掛け。

このどんでん返しには、思わず笑ってしまいました。

映画:「あの娘の神様」

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