着る自由、見る節度

※このブログでは、60代の私が、日常・身体・性・人との距離について、正直な言葉で綴っています。

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ある日のこと、私と彼女の会話が発端でした。

海外でも話題になっているそうですが、彼女の職場や身近な場所でも、同じような光景が増えていると言います。

彼女は、少し呆れたように、こう言いました。

「ジムでは最近ほんと増えてるよね。
胸も尻も、割れ目まで分かるレギンス。
それで男が見るとセクハラ、でも“着る女が悪い”って言われる。
正直、見てるこっちが恥ずかしくなるんだけどね」

なるほどな、と思いながら聞いていましたが、彼女はすぐに続けました。

「でもさ、人間の体のパーツの形を見て恥ずかしいって感覚自体、変なのかもしれない。
何を着ようと自由って考え方もあるよね」

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ピラティスやヨガの現場では

彼女はピラティスやヨガの現場をよく知っています。

「ピラティスの先生とか、レギンスで上はブラだけ、みたいな格好の人も普通にいるよ。
女性が多い場所だと、あんまり気にならないし、逆に“あの先生みたいになりたい”って憧れの対象になることもある」

確かに、そういう空間では、体を見せること自体がモチベーションや目標になっているのかもしれません。

一方で、彼女は少しトーンを落として言いました。

「でもジムだと男の人もいるし、年代も価値観もバラバラでしょ。
胸とか食い込みが気になるって感覚が出てくるのは、正直あると思うの」

それでも、服装についての考えははっきりしています。

「何を着るかは本人の自由だと思う。
それを着ることで気分が上がって、ジムに行って頑張れるなら、それでいいよね。」

見る側の節度

では、見る側はどうなのか。

「多分、男の人は見ちゃうと思うよ。
胸が強調されてたら、自然と目が行くのは仕方ない部分もあると思う」

そう前置きした上で、彼女は言います。

「でも、パッと目に入ってすぐ目を逸らすのと、上から下までなめ回すように見るのは全然違う」

知らない男性にじろじろ見られて、心地よく感じる女性は多くありません。

一方で、見られることで自信を持つ女性がいるのも事実です。

ただ、それは人それぞれで、誰にでも当てはまる話ではありません。

結局のところ、服装は自由です。また、想像するのも自由です。

問題は服そのものではなく、視線の使い方なのだと思います。

見る・見られるという関係の中で、
相手の気持ちや尊厳をどう扱っているのか。

そこに想像力と節度のバランスがあるのか。

そんなことを考えさせられた、彼女との会話でした。

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