
今でこそ、彼女と身も心も安定したお付き合いをしていますが、
中学生の頃、思春期を迎えた私は、
人生で初めて迎えた欲情に、自分を持て余していました。
それは突然の未知の快感とともに現れました。
その時から私は、その本能ともいえる欲情にさいなまれていくのです。
何これ!?
私は小さな時から寝る時に、自分のモノを触っていました。
これは男の子にありがちな習性だそうです。
それは中学生に入っても変わりませんでした。
中一の頃には、第二次成長期の証である陰毛も生えてきて、
学校では「生えた、生えない」問題に、仲間内で盛り上がったものでした。
ある時、いつものように寝る時に触っていると、
言い知れないモノの膨張の仕方に戸惑っていました。
心地よいお腹の底からの快感。
ただただモノの頭の部分を触り続けました。
「えっ!?」
モノが突然、ピクンピクンと躍動し始めました。
自分の体が体ではないような変な感覚です。
あわてて止めようとしましたが、どうしようもありません。
その時に精液が出たのかどうか、まったく記憶にありません。
躍動が収まる頃には、
何か悪いことが起きたかのような罪悪感と気持ち良さだけが残っていました。
翌日も、その翌日も
罪悪感と気持ち良さ。
私は翌日も、その翌日も触り続けました。
自分の体に何が起きたかをまったく気にすることもなく、
単純に快楽を求めて、夜になるとモノを触り続けました。
そのうち躍動と共に、多量の精液を出していることに気がつきました。
その現象が「射精」だということは、後になって友だちに聞いて知ることになるのです。
持て余す日々
今にして思えば、
心はまだ子どもなのに、体だけが先に大人へ向かっていたのだと思います。
アンバランスな心と体。
自分自身をどう扱えばいいのか分からず、
ただ流れに身を任せるしかありませんでした。
成長するにつれて、
世の中には知らないことばかりなのに、
体だけは確実に変わっていく。
当時の雑誌や大人たちは、
「運動して発散しなさい」と簡単に言いました。
けれど、
そんなふうに割り切れるほど、
人間は器用ではありません。
抑え込むよりも、
受け入れながら折り合いをつけていくしかなかった。
今は、そう思います。
本来の使い方
私の初体験は、大学に入ってからのことです。
そこで初めて、
男と女が心と体を通わせる意味を知りました。
それから今日まで、
長い時間をかけて、
喜びも失敗も、数え切れないほど経験してきました。
体だけの関係ではないこと。
触れ合いは、心の距離にも影響するのだということ。
それを学ぶまでに、
随分と遠回りをしたようにも思います。
彼女との付き合いも、気がつけば16年。
すべては、あの頃に芽生えた衝動の、
長い延長線上にあります。
中学生の頃、
自分でも持て余していたあの感覚。
あれは確かに、
大人の世界へ足を踏み入れる、
最初の扉だったのだと、今さらながら思いを巡らせています。

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