コロナ禍が深めた、私たちの本能~生きていることを確かめ合うように~

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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ある本で、こんな一文を読んだことがあります。

「人間は命の危険を感じるような極限状態に置かれると、生存本能が強く働き、“遺伝子を残そうとするモード”に入ることがある」

妙に納得できる話でした。

東日本大震災のあと、被災地では心の拠り所としてデリヘルを利用する男性も少なくなかった、という話も聞いたことがあります。

先日のブログで
「男は疲れると、なぜかセックスしたくなる」
と書きましたが、この話はそれを裏付けるもののようにも思えました。

正直に言えば、どこか嬉しく感じている自分もいます。


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平穏な日々の中で

(配偶者との関係はさておき)

今の私の生活は、比較的穏やかです。

そんな中でも彼女とは、月に1度、時には2度ほど、変わらず身体を重ねています。

ふと、こんなことを考えることがあります。

もし今、関東大震災のような大きな災害が起きたら――

極限状態の中で、私は彼女を強く求めてしまうのではないか。

……もっとも、その前に交通機関が止まってしまうでしょうけれど。


来月(2025.2)のデート

来月のデートは、日程が合えば梅を見に行く約束をしています。

初デートの時、偶然通りかかった神社の梅がとてもきれいでした。

「また梅を見たい」

そんな彼女の言葉を覚えていて、今回はきちんと応えたいと思っています。

先日のメールでは、こんなやり取りがありました。

「2月のデートは約束どおり梅を見に行こう」

「うん、行きたい」

「その日はセックスはだよ。時間がないから」

すると彼女から、

「“セックスは”のが大きすぎ!」

と、すぐにツッコミが入りました。

「2月は祝日もあるし、その時にしよう」

そう付け加えると、彼女も納得したようでした。

彼女の性欲は、まだまだ健在です。

彼女自身の言葉を借りれば、

「最近は、ますます良くなっている」

コロナ禍明けの再会で、何かがはっきり変わった。

そんな印象を受けています。


遺伝子を残そうモード

考えてみれば、コロナ禍そのものが私たちにとって十分に極限状態だったのかもしれません。

先の見えない不安。

人と会えない時間。

いつ終わるか分からない閉塞感。

そんな時間を経ての再会でした。

もしかすると私たちは、コロナ禍によって眠っていた生存本能が刺激され、「遺伝子を残そうとするモード」に入っているのかもしれません。

交わっている最中、彼女の身体が私を強く受け止めるように感じることがあります。

まるで精子を逃がさないようにしているかのような感覚です。

けれど、身体が反応することに、理由など必要ないのかもしれません。

ただ―

生きていることを確かめ合うように、

互いを求め合っているだけ。

最近は、そう思うようになりました。

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