彼女の時間

※このブログでは、60代の私が、これまでの生き方・日常・身体・性などについて、正直な言葉で綴っています。

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私たちの関係は、
世間に向かって堂々と話せるものではありません。

だからこそ、
これまでずっと、
お互いに気を使いながら付き合ってきました。


「踏み込まない」ことが正解だと思っていた頃

以前の私は、
「相手の現実の生活には踏み込まない方がいい」
そう思い込んでいました。

相手が話してこないことは聞かない。
余計なことは詮索しない。

それが大人としての配慮であり、
この関係を壊さないための
正しい距離感だと信じていたのです。


連絡が途切れた時間に、何を想像していたか

メールが、たまたま届かない日がありました。
理由は分かりません。
電波の問題かもしれないし、
ただ忙しかっただけかもしれない。

それでも私は、
「何かあったんじゃないか」
そんな想像をしてしまい、
やがてメールが途絶えた時期もありました。


それを「思いやり」だと思い込んでいた

当時の私は、
それを「相手を思いやった結果」だと
自分に言い聞かせていました。

踏み込まないのは優しさ。
聞かないのは尊重。
そう考えていたのです。


今になって見えてきた、もう一つの理由

けれど、今になって振り返ると、
少し違って見えます。

相手を尊重しているつもりで、
実は、自分が背負わずに済む距離を
選んでいただけだったのだと思います。


会えない時間に、目を向けるということ

会えない時間。
連絡が来ない時間。

その間、相手が
どんな気持ちで過ごしているのか。

そこに向き合おうとすれば、
自分の都合の良さや、
無責任さを認めなければならなくなる。

だから私は、
「距離を保つ」という言葉で包んで、
その重さから目をそらしていたのかもしれません。


話すようになって、見えてきたもの

今は、お互いの状況を
以前より話すようになりました。

仕事のこと。
日々の出来事。
抱えている悩み。

良き相談相手になれている、
そう感じることもあります。

でも、それは
単に仲が深まったからというより、
相手が過ごしている時間が、
現実として見えるようになったから

だと思っています。


手帳に書けない時間が、積み重なっていく

待つ時間。
予定を調整する時間。
何も言わずに飲み込んだ時間。

それらは、
手帳に書き込むことはできません。
けれど、確実に積み重なっていくものです。


「仕方ない」という言葉の便利さ

「今は仕方ない」
「この関係だから」

そう言えば、
自分をいくらでも楽にできます。

でも、
納得していることと、
何も失っていないことは、同じではありません。


一緒に過ごした時間が教えてくれたこと

昨年、三度の旅行に行きました。

朝を迎え、
夜を越え、
日常の延長として一緒に過ごす時間。

その中で私は、
彼女の時間を
自分の都合の合間に
当てはめてきた部分があったことに、
否応なく気づかされました。


気持ちよりも、重く残ったもの

気持ちが解き放たれた、
そう言うこともできるでしょう。

でも私には、
それ以上に
時間の重さを、現実として感じた
という感覚の方が強く残っています。


彼女の時間を、どこまで分かっているのか

私は、
彼女の時間を
どこまで分かっているのだろうか。

正直に言えば、
今もすべて分かっているとは言えません。

ただ一つ、
以前よりはっきりしたことがあります。

彼女の時間は、
私が軽く扱っていいものではない。
私の都合の中で
消費していいものではない。


最初に問われること

そのことを
自覚しているかどうか。

それが、
この立場にいる男性が
最初に問われることなのではないか。

私は、そう思っています。

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