最後の一部屋

私たちは、いつものように並んで歩きながら、

ラブホテルへ向かっていました。

特別な会話があるわけでもなく、ただ自然に足がそちらへ向く――

そんな関係になって、もうずいぶん経ちます。

一組のカップル

途中で、前方を歩く一組のカップルに気がつきました。

歳の頃は、70歳くらいでしょうか。

背中は少し丸く、歩みはゆっくりですが、

二人の距離は近く、妙に息が合っています。

「あの人たちも、向かっているのかしら」

彼女が、冗談とも本気ともつかない口調で言いました。

私は曖昧に笑うだけでしたが、なぜかその言葉が心に残りました。

ホテルの受付に入ると、その老カップルはすでに手続きを終え、

エレベーターへ向かうところでした。

静かに並んで立つ後ろ姿を見て、胸の奥が少しざわつきます。

表示を見ると、残りの部屋はあとひとつ。

私たちは顔を見合わせ、特に言葉も交わさず、

受付を済ませ、その部屋に入りました。

触れていたいね

いつも通りのはずなのに、その日は空気がどこか違っていました。

部屋に入るなり、彼女はいつもより距離を詰めてきます。

腕に絡み、肩に顔をうずめる仕草が、やけに素直でした。

人生の先輩カップルに、

何かを感じ取ったのかもしれません。

しばらくして、彼女がぽつりと言いました。

「もしね……お互いに、できなくなってもさ」

少し間を置いて、続けます。

「それでも、こうして肌に触れていたいね」

その言葉に、私はすぐに返事ができませんでした。

欲望の話ではなく、

もっと先の時間の話を、彼女はしていたのです。

私はただ、彼女の背中に手を回し、

言葉の代わりに、そっと抱き寄せました。

できる、できないではなく、

触れていることそのものが、

私たちの答えなのだと。

あの老カップルが、どんな時間を過ごしているのかは分かりません。

けれど、残り一部屋の時間に、

私たちは少しだけ未来を覗いた気がしました。

そして、今この瞬間を、

静かに、深く、味わおうと思ったのです。

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