
「道ならぬ恋をしている人は、家では家族に優しくなれる」
こんな言葉を聞いたことがあります。
家族、特に配偶者に対しての後ろめたさからだそうです。
道ならぬ恋
はたして、それは「恋」と呼べるでしょうか。
インターネットや辞書を調べれば、いろんな意味が書いてあります。
私は「恋」というものは人を好きになって、その人が唯一無二の存在になることだと思っています。
前にもお話ししましたが、できれば「道ならぬ恋」はしない方がいいに決まっています。
配偶者と添い遂げられるのが一番いいと思います。
結婚は家族となる契約だから、夫婦と子ども、孫。すべてが家族です。
でも、もともと知らなかった者どうしが長い間、一つ屋根の下で暮らすという契約です。
齟齬(そご)が出るのは当たり前。完全に一致することはあり得ません。
コミュニケーションをとったり、話し合いをしたりして落としどころを探していく努力が必要です。
時には我慢することも必要でしょう。
でも、努力の末、「我慢しきれない何か」が生まれた時に、心が離れていくのだと思います。
そのスキマを埋め合わせるために「道ならぬ恋」をしてしまう。
少なくとも私がそうでした。
何度も何度も、「自分の言っていることは間違いだろうか。やっている事は正しいだろうか」と自問もしました。
配偶者と会話の努力をするたびに、私の心はすり減っていきました。
そんな恋などしなければ良い
後ろめたさから、家では家族に優しくなれる。
優しくなれるくらいだったら、既婚者の恋などしていません。
私は既婚の恋に悩みました。
本当に自分はこれでいいのだろうか。
彼女にとってこの道は正しい道なのだろうか。幸せなのだろうか。
男にとって、簡単に逃げることのできる恋は恋ではありません。
家では家族に優しくなれる恋。遊び。
そんな恋、遊びならしなければ良い。
家族に対する努力から逃げているだけです。
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