家では優しくできる

※このブログでは、60代の私が、日常・身体・性・人との距離について、正直な言葉で綴っています。

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「道ならぬ恋をしている人は、 家では家族に優しくなれる」

こんな言葉を聞いたことがあります。

家族、特に配偶者に対しての 後ろめたさからだそうです。

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「恋」と呼べるもの

道ならぬ恋。 はたして、それは「恋」と呼べるでしょうか。

辞書を引けば いろいろな意味が書いてあります。

けれど、私はこう思います。
「恋」とは人を好きになり、 その人が唯一無二の存在になることだと。

前にもお話ししましたが、 できれば「道ならぬ恋」は しない方がいいに決まっています。

配偶者と添い遂げられるのが一番いい。

結婚は家族となる契約ですから、 夫婦と子ども、孫。すべてが家族です。

でも、もともと知らなかった者どうしが 長い間、一つ屋根の下で暮らす契約です。

齟齬(そご)が出るのは当たり前。 完全に一致することはあり得ません。

努力の末にできたスキマ

コミュニケーションをとったり、 話し合いをしたりして 落としどころを探していく努力が必要です。
時には我慢することも必要でしょう。

でも、努力の末、 「我慢しきれない何か」が生まれた時に、 心が離れていくのだと思います。

そのスキマを埋め合わせるために 「道ならぬ恋」をしてしまう。

少なくとも、私がそうでした。

何度も何度も、自問しました。 「自分の言っていることは間違いだろうか」 「やっている事は正しいだろうか」

配偶者と会話の努力をするたびに、 私の心はすり減っていきました。

優しくなれる余裕などない

「後ろめたさから、家では家族に優しくなれる」

優しくなれるくらいなら、 既婚者の恋などしていません。 私はこの恋に、深く悩みました。

本当に自分はこれでいいのだろうか。 彼女にとってこの道は正しい道なのだろうか。 幸せなのだろうか。

男にとって、 簡単に逃げることのできる恋は 恋ではありません。

それは「遊び」に過ぎない

家では家族に優しくなれる恋。 それは、ただの「遊び」です。

そんな遊びなら、しなければ良い。

それは、家族に対する努力から 逃げているだけなのですから。

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