
先日、彼女と少し深い話をしました。
話題は、加齢による「体の感じ方」の変化です。
男性にとって、若い頃のそれは「物理的な爆発」でした。
精液の量、射出の勢い、一気に突き抜ける解放感。
それこそが、快感の正体だと思っていました。
しかし、40代、50代、60代と年齢を重ねます。
頭が覚えている快感に、肉体が追いつかなくなってきました。
かつての鮮烈な陶酔は、手応えのない空想へと変わります。
「昔はもっと、頭が真っ白になる爆発があったんだけどな…」
私が漏らした言葉に、彼女は少し微笑みました。
私の手を握り、静かに言いました。
「男性は、失う寂しさがあるのかもね。
でもね、女性は逆なの。どんどん、深くなっている気がするよ」
鋭さから、深い音楽へ
彼女の話では、20代の頃の快感は「鋭い点」だったそうです。
制御できない、トゲトゲとした刺激。
しかし、経験を重ねることで変化が訪れました。
自分の体を肯定し、羞恥心を手放すようになってきます。
すると、快感の「点」は「波」になりました。
そしてやがて、それは幾重にも重なる「面」へと変わったというのです。
「昔はただ、刺激の強さに驚いていただけ」 彼女は言葉を紡ぎます。
「でも今は、体の中の響きをじっくり味わえる。
鋭い刺激が、今は深い音楽みたいに染み渡るの。
激しさよりも、芯がずっと震え続けている感じ」
彼女の言葉に、私はハッとしました。
私は「過去の爆発」という残像を追いかけていました。
手応えのなさに、虚無感さえ感じていたのです。
一方で彼女は、「今、この瞬間の成熟」を楽しんでいました。
喪失と、成熟の対比
この違いは、成熟した男女の間に横たわる切実な現実です。
男性は、若さゆえの「物理的陶酔」を失っていく過程にあります。
射精は、どこか空洞化していってしまう。
対して女性は、鋭い刺激を手なずけます。
それを豊かな人生の充足へと育てる、黄金期にいるのです。
この差を「すれ違い」にしてはいけません。
分かち合うことにこそ、大人の関係の醍醐味があります。
「私の感じ方が深くなったのは、貴方が時間をかけて私を愛してくれたからよ」
彼女の言葉に救われました。
私が喪失を嘆く間も、二人の積み重ねは無駄ではありませんでした。
彼女の中に「新しい深淵」を築き上げていたのです。
余韻に、耳を澄ませる
私たち男性には、必要なことがあります。
若い頃の「爆発」という物差しを、一度捨てることです。
私の若かりし頃の勢いが衰えた後に、残ったものがありました。
それは、静かな震えや、柔らかな余韻です。
激しいロックが、心に染み入るクラシックへ変わるように、
彼女が感じている「深い音楽」に、共に耳を澄ませることができます。
私は彼女の「成熟」を、共に喜び、そして自分の喜びとして受け止めるのです。
それが、私に許された、新しい性の楽しみ方です。

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