
「道ならぬ恋」について書くとき、
私はいつも少しだけ手が止まります。
どう書いても、
どこかで誰かを不快にさせる。
それは避けられないと分かっているからです。
それでも書くのは、
自分の気持ちを美しく残したいからではありません。
むしろ逆で、
美しく書いてしまいそうになる自分を、警戒している
と言った方が正確です。
消してはいけない現実
私は、「道ならぬ恋」をしています。
気持ちは本物ですし、
彼女との時間に救われてきたのも事実です。
でも、それを理由に
「恋愛だから仕方ない」と言い切ることはできません。
恋かどうかを決める前に、
これは誰かを裏切っている関係だという事実がある。
その現実を無かったことにした瞬間、
文章は一気に嘘になります。
被害者の位置に立ってしまう危うさ
家庭がうまくいっていなかった。
孤独だった。
理解されていなかった。
そう書くことは簡単です。
実際、事実でもあります。
ただ、それを書いた瞬間に、
私は“被害者の位置”に立ってしまう。
そこに、ずるさがあることも分かっています。
つらかったから、そうなった。
だから仕方なかった。
もし私がそう書いたら、
読者の多くは、心の中でこう思うでしょう。
「それで、あなたは何をしたの?」
「それで、誰を傷つけたの?」
被害者であり加害者でもある
私は、
被害者であると同時に、加害者でもあります。
その両方から目を逸らさずに書く。
それができないなら、
最初から書くべきではないと思っています。
反省文を書きたいわけではありません。
正しさを主張したいわけでもない。
ただ、
自分がどこに立っている人間なのか。
それを誤魔化さずに置いておきたい。
美しい話ではない
この関係は、美しい話ではありません。
胸を張れる話でもない。
それでも、
ここに確かに感情があったこと、
誰かの人生に関わってしまったこと。
その重さだけは、
軽くしてはいけないと思っています。
逃げない場所に立つ
読者に共感してもらえなくてもいい。
理解されなくても構わない。
せめて、
「この人は逃げていない」
そう思ってもらえる場所に、
自分を置いたまま書き続けたい。
それが、
この立場にいる私にできる、
最低限の誠実さだと思っています。

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