
60代という年齢を迎えて、ふと考えることがあります。
「年相応」という言葉の裏に、私たちは大切なものを隠してはいないでしょうか。
世間では、この年代になると枯れていくことが美徳とされがちです。
しかし、私の内側には決して消えない熱量があります。
それは静かに、けれど確かに脈打っているのです。
健康であることのバロメーター
私の傍らには、同じ時代を歩んできた大切なパートナーがいます。
彼女と過ごす時間は、私に大切なことを教えてくれます。
年齢を重ねることは、決して喪失ではないということです。
彼女は、私と会う時には必ず、美しい下着を身につけてきてくれます。
自分をひとりの女性として律する、彼女なりの誇りの表れでしょう。
私という男を真っ向から受け入れようとする、その心意気を感じるのです。
ある時、彼女がこんなことを言っていました。
「ねえ。食欲や睡眠欲と同じで、誰かを愛したいと思う気持ちは、エネルギーそのものよね。それが心にあるのは、健康で充実している証拠じゃないかしら。
だから、恥ずかしいことだなんて思わないで。自分の命に対して失礼な気がするの」
彼女のその言葉に、私は深く頷かされました。
「欲」は生きていくための力
かつての私は、世間の目を気にしていたのかもしれません。
この年で色恋を語るのは、はしたないことではないかと。
けれど、睡眠が活力を養い、食事が体を作るように。
愛する人と心身を睦ませる喜びも、人生を支える大切な柱です。
人間が最後まで自分らしく生きるために、なくてはならない輝きなのです。
彼女はこうも語っていました。
「役割が終わったなんて、寂しい考え方はしたくないわ。いくつになっても、誰かにとって魅力的な存在でありたい。そう願っていいはずよ」
その言葉には、経験を重ねたからこその強さが宿っていました。
大人の余裕と、深い繋がり
もちろん、若い頃のような激しさだけを求めているわけではありません。
今の私たちには、相手の言葉に耳を傾ける余裕があります。
変化を受け入れ、慈しむことができる優しさもあります。
身だしなみを整え、紳士として彼女の前に立ち続けること。
そして、誇りを持って、私を真正面から受け入れてくれる彼女。
その積み重ねが、深い精神的な繋がりを生んでいます。
これは若い頃には辿り着けなかった、贅沢な関係だと言えます。
私たちが年齢に縛られず人生を謳歌すること。
それは、後に続く世代にとっても、ひとつの希望になれるかもしれません。
「老いることは、こんなにも自由で豊かなのだ」と。
背中でそう語ることができれば、これほど幸せなことはありません。
終わりなき季節を歩む
彼女が鏡の前で自分を整え、私に向き合ってくれる。
その気高さに応えるためにも、私は自身の「生」の火を絶やさずにいたい。
60代。この季節にしか咲かない花があります。
この年齢だからこそ味わえる情熱があります。
この豊かな時間を、一歩ずつ丁寧に噛み締めていこう。
そう静かに決意しています私がいます。

コメント