
—アラ還ふたりの「もしも」の話—
生活パターン
彼女と付き合うようになってから、
ときどき思うことがあります。
――もし、一緒に住めたら、どんな毎日になるんだろう。
公園を散歩したり、買い物に出かけたり、
気ままに旅行へ行ったり。
もちろん、ふたりのペースでセックスも楽しめる。
あるとき、彼女に聞いてみました。
「一緒に暮らせたら、どういう生活になるだろうね」
すると彼女は、少し笑って言います。
「私は、自分の時間は欲しいな」
お互いに、長い年月をかけてできあがった生活パターンがあります。
若い頃なら、ふたりで新しい形を作れたかもしれません。
でもアラ還の私たちには、無理に合わせると窮屈になるだけ。
自由と距離感が、恋心のバランスを保っているようにも思えます。
戸籍という現実
「じゃあ、籍はどうしよう?」
そんな話に触れたこともあります。
彼女は、籍を入れれば安心だと言います。
けれど同時に、冷静にこうも言います。
「子どもたちは戸惑うわよね」
歳を重ねるほど、しがらみは増えるものです。
誰にでも死は必ず訪れる――それも、ふたりとも理解しています。
「知らないおばちゃんが急に“妻の座”についたら、お子さん怒るわよ」
「うん、相続の話になれば、絶対にもめるよね」
そう言うと、彼女は複雑な表情を浮かべました。
恋は自由でも、制度は自由ではありません。
自由にできるセックス
今、私たちは月に1〜2回会っています。
会うたびにセックスをします。
相性は良く、毎回お互いに満足できます。
もしかしたら、会える時間が限られているからこそ、
あの熱が生まれるのかもしれません。
すぐそばにいる日常を手に入れたら、
その“燃え上がり”は薄くなるのかもしれません。
でも、会えない日には
「昨日、したかった」
と、彼女のメールが届くこともあります。
飛んで行きたい。抱きしめたい。
そう思いながらもできない距離が、
再会したときの情熱を強くするのかもしれません。
私たちにとってセックスは、
肉体だけでなく、心のバランスを整える時間でもあります。
それでも「なんとかなるよ」
「もしも」と「現実」の間。
現実には不安も障害もたくさんあります。
それでも彼女は言います。
「なんとかなるよ。ふたりなら乗り切っていける」
その言葉を聞くたびに、胸が熱くなります。
あとは――
私が離婚できれば、彼女と結婚できる。
でも、配偶者は離婚に応じてくれません。
調停に持ち込んでも、難しい状況です。
それでも、彼女は言います。
「少なくとも、あなたとはずっと会っていたいな」
嬉しい。
けれど、切なくて、胸の奥がきゅっと痛む。
そんな複雑な気持ちを抱えながら、
今日も「もしも」の続きを想像しています。

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