繋がることの本当の意味

※このブログでは、60代の私が、日常・身体・性・人との距離について、正直な言葉で綴っています。

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先日、彼女がふと漏らした言葉をきっかけに、
私は「男女の愛し方の違い」について深く考えさせられました。

「早くあなたと一つになりたい」

よく男性は「挿れたがる生き物」だと言われますが、実はその逆なのかもしれません。

本当に深く愛している時、「相手と一つになりたい」と切望しているのは、女性の方かもしれません。

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「一体化」を求める女性の愛

女性が誰かを心から愛した時、それは単なる性欲を超えた、もっと根源的な欲求に変わるようです。

  • もっと近くにいたい、くっつきたい。
  • 抱きしめられたまま、相手の肉体に溶け込みたい。
  • 境界線がなくなるほど、ズブズブと入り込みたい。

現実には不可能なことだからこそ、物理的な繋がりを求める。

彼女にとってのそれは、「魂の融合」に近い儀式なのだと感じます。

男性が抱える「妙な罪悪感」

一方で、私たち男性は、どうしても「行為そのもの」という概念から抜け出せない時期があります。

だからこそ、心からリスペクトする女性を前にすると、不思議な葛藤が生まれるのです。

「こんなに大切な君に、性欲をぶつけていいのだろうか」

「ただヤりたいだけの男と思われたくない」

そんな戸惑いのあまり、「体だけが目的じゃないんだよ」なんて、女性からすれば「今、何の話?」と言いたくなるような言い訳をしてしまう。

男性のそんな姿は、少し不器用で、どこか微笑ましいものでもあります。

「元を取りたい」大人たちの寂しさ

成熟した男性は、やがて「挿れても挿れなくてもいい、ただ抱きしめていたい」という境地に辿り着きます。

この余裕こそが、女性に安心感を与える「大人の色気」になるのでしょう。

悲しいのは、この感覚を知らないまま年齢を重ねた男性です。

大勢の飲み会で「元を取るぞ!」ばかり、女性にやたらと触れる。

これは、同性から見ても本当にかっこ悪いものです。

また女性側も、若さゆえの「ギラギラした視線」を向けられることを「愛」だと勘違いしてしまうことがあります。

でも、肉体的な価値は時とともに変化していくものです。

溶け合うような幸福感

結局のところ、大切なのは「生き様」に惚れ合うことではないでしょうか。

  • 相手の内面を深く知ること。
  • 日々の対話を大切にすること。
  • 手を繋ぐだけで満たされる関係を築くこと。

そのことに気づいた時、男の余裕が出てくるのだと思います。

セックスにおいても同じです。

挿入という「点」の行為に執着するのではなく、もっと深い場所で繋がり合う。

そんな関係を築き、お互いに溶け合うような幸福感を得ていきたいものです。

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