「普通の女性」とお付き合いしたい

※このブログでは、60代の私が、日常・身体・性・人との距離について、正直な言葉で綴っています。

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男という生き物は、つくづく身勝手なものだと思います。

たとえ隣に大切なパートナーがいたとしても、
街を行き交う若い女性に、ふと目を奪われてしまいます。

「もし、自分があの子と付き合えたら」

そんな妄想が、頭をよぎることさえあります。

最近、ネットの海を漂っていると、
パパ活に勤しむ男性たちのブログをよく目にします。

そこには、決まって繰り返される
ある種の「定番フレーズ」があります。

「やっぱり、普通の子がいいんだよね」

この言葉を見るたび、
胸の奥がざらつくような、居心地の悪さを覚えます。


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「普通」という言葉

「普通の子がいい」

そう語る男性たちが求めているのは、
いったい何なのでしょうか。

スレていない、純粋そうな雰囲気。
お金目当てに見えない、自然な笑顔。
昼間は大学生や会社員をしていそうな、清潔感。

けれど、ここで一度、
立ち止まって考えてみる必要があります。

金銭のやり取りが前提の交際に踏み込める女性は、
本当に「普通」なのでしょうか。

パパ活の多くは、最終的に肉体関係を伴います。

自分の親ほど、あるいはそれ以上に年の離れた男と、
お金のために肌を重ねる。

その選択ができる感性を、
果たして「普通」と呼んでいいのか、疑問が残ります。

そこには、あまりにも残酷な
認識のズレが横たわっています。


「普通じゃなさ」の正体

風俗やパパ活の世界に身を置く女性たち。

彼女たちを見つめていくと、
ある共通点に行き当たります。

それは、社会が引いた「普通」というレールから、
意図せず、あるいは必然的に外れてしまったという事実です。

境界知能や発達特性。
機能不全の家庭環境。
極端に低い自己肯定感。

もちろん、すべての人がそうだとは言いません。

しかし、何の生きづらさも抱えず、
何の欠落も感じずに、
この世界に足を踏み入れる人は、驚くほど少ないのが現実です。


「すぐに満たされる」という劇薬

なぜ、彼女たちはこの世界に吸い寄せられるのでしょうか。

理由は単純です。
ここが「即効性のある承認」に満ちた場所だからです。

一般社会は厳しく、
努力しても報われないことの方が多いものです。

「お前はダメだ」と
突きつけられる日々もあります。

しかし、この世界は違います。

「可愛いね」と褒められ、
「必要だ」と言われ、
その場でお金が手に入ります。

社会で「何者にもなれなかった」と感じている女性にとって、
これほど依存性の高い救いはありません。

自尊心を回復させるための最短ルートであり、
同時に、自分という存在を安売りしてしまう罠でもあります。


「本当の普通」

以前、女性の友人が何気なく言った言葉が、
今も忘れられません。

「え、私? 死んでも体なんて売れないよ」

それが、多くの女性にとっての
「普通の感覚」なのだと思います。

見知らぬ男に体を売るという選択肢は、
人生のリストの中に、
最初から存在していないのです。


「選んだ人」と「選ばされた人」

この世界には、二種類の人間がいます。

自分の特性を理解した上で、
あえてこの道を選んだ人。

生き抜くための戦略として、
「性」を使う覚悟を持った人です。

もう一つは、
「ここしか居場所がなかった」と流れ着いた人です。

他に行く場所を知らず、
断る術も持たず、
流されるまま、ここに辿り着いた人たちです。

この二者の間には、
外からは見えない、深い溝があります。

どちらが正しいわけでも、
偉いわけでもありません。

ただ、その心の傷の深さは、
天と地ほどの差があるのです。


「若さを借りる」という誘惑

冒頭でも触れましたが、
私もまた、一人の男です。

若い女性と交流してみたい。
その輝きに触れてみたい。

そんな気持ちが皆無だなどと、
きれいごとは言えません。

自分の親ほど年上の男を、
純粋な恋愛対象として見る若い女性が、
ほとんど存在しないことも理解しています。

だからこそ、
「若さを借りる」という言葉が、
甘美で、合理的な解決策のように聞こえる瞬間があります。

「お金で解決できるなら」
「お互い納得しているなら」

そんな囁きが、
頭の片隅に浮かぶのです。


それでも、踏みとどまらせるもの

それでも、私には今、
大切にしたい彼女がいます。

彼女の存在が、
私をこちら側の世界に繋ぎ止めています。

もし、パパ活という非日常に足を踏み入れれば、
束の間の若さや承認は手に入るでしょう。

しかし、その代償として、
私は何を失うのでしょうか。

それは、
「まっとうな人間関係を築けている」という、
自分への信頼です。

彼女がいる身で、
誰かの「普通ではない現実」を消費すること。

それは、
私自身の「普通」を壊してしまう行為のように思えてなりません。


幻想

「普通の子がいい」

この言葉を口にする人ほど、
実は「普通の現実」を知りません。

普通の女性は、
私たち中高年男性の前に、
都合よく現れたりはしません。

もし現れたとすれば、
それは「普通」という仮面を被っているか、
あるいは、普通でいられない切実な理由を抱えているからです。

普通でないことは、欠陥ではありません。

それは、過酷な世界を生き抜くための、
必死な生存戦略です。

それを「普通」という言葉で塗りつぶし、
都合よく消費するのは、
あまりにも想像力が欠けています。

私たちは今日も、自分なりの生き方を選んでいます。

たとえその道が「普通」から外れていたとしても、
そこには、確かな人生の重みがあります。

幻想の「普通」を追いかけて、
誰かの心を削る前に。

今、自分の隣にある、
自分を信じてくれる存在を、
もう一度、噛みしめるべきではないでしょうか。

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