浮気、不倫、そして道ならぬ恋

※このブログでは、60代の私が、日常・身体・性・人との距離について、正直な言葉で綴っています。

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浮気と不倫

一昨日、YouTubeで「浮気と不倫」をテーマにした動画を見ました。

おそらく私自身が「道ならぬ恋」という状況に身を置いているからでしょう。

こうした言葉に、どうしても敏感になります。

既婚者の異性関係をめぐるトラブルは、かつては「不倫」ではなく「浮気」と呼ばれていたそうです。

たしかに「三年目の浮気」というデュエット曲がありました。

夫は
「三年目の浮気くらい多めにみてよ♪」
と許しを乞い、
妻は
「ひらきなおる、その態度が気に入らないのよ。両手をついて謝ったって許してあげない♬」
と応じる。

今思えば、どこかコミカルで、やり取りの余白が感じられる歌でした。

こうした会話が成立する夫婦関係であれば、関係がすぐに破綻することもないのかもしれません。

ところが、かつての「浮ついた心」を意味した「浮気」は、いつの間にか「不倫」という、ずいぶんと重く、厳しい言葉に置き換えられました。

先日も、国民民主党の玉木代表の「不倫」が報道されていました。

私には、「浮ついた心」、ついふらっと手が出てしまった出来事――つまり「浮気」としか思えないのですが、報道では「不倫騒動」と表現されます。

言葉が変わると、印象も、断罪の強さも変わります。

浮気は本来、夫婦間の問題であり、奥さまが許すのであれば、それで終わる話でもあります。

許せなければ、離婚という選択に進むこともあるでしょう。

あくまでも当事者同士の問題です。

私は「浮気」も「不倫」も肯定しているわけではありません。

ただ、「不倫」という言葉で、人の人格すべてまで否定してしまう今の空気には、どこか息苦しさを感じています。

道ならぬ恋

私はブログで、あえて「道ならぬ恋」という言葉を使っています。

意図して選んだ言葉です。

浮ついた異性関係としての「浮気」ではなく、「恋」として向き合っている、という意味を込めています。

恋に落ちる理由は、人それぞれでしょう。

少なくとも、そこには配偶者への思いが薄れ、恋の相手だけを思い続ける心の動きがあります。

恋は、一方的なものではありません。

共感し、尊敬し、相手を思いやる気持ちがあって、初めて成り立つものです。

既婚者であっても、人は恋をします。

それは、軽い恋ではありません。

自分の立場を背負い、責任を意識したうえで続ける恋です。

ブログで見かける「体の関係」

ときどき、セックスだけを前面に出したブログを見かけます。

それらを否定するつもりはありません。

表現の自由は尊重されるべきです。

むしろ、私が20代、30代で子育てに追われていた頃を思うと、他人とのセックスに没頭できる環境にある人たちを、うらやましく感じることさえあります。

社内で関係を持つような、本能むき出しの世界は、私には想像が及びませんし、呼び出されてすぐに家を出られるという身軽さには、正直、頭がくらくらします。

私自身も、セックスの描写を書きます。

ただし、本能ありきではありません。

人には感情があり、相手を尊重するやさしさがあります。

相手の立場を考え、その重さを受け止める必要があります。

私は、そうした機微のある人間関係の延長としてのセックスを描きたいのです。

配偶者との関係

「道ならぬ恋」をしている人には、それぞれの事情があります。

既婚者である以上、配偶者とは同じ屋根の下で生活を続けている場合がほとんどでしょう。

婚姻関係がすでに破綻し、仮面夫婦になっているケースも少なくありません。

それでも、現実の生活を維持しなければならないのが現実です。

私は、配偶者と話すことで嫌な気持ちになるため、できるだけ会話を避けています。

離婚できない仮面夫婦が選べる現実的な方法は、それしかないのです。

この生活がいつまで続くのかと思うと、やるせなさを感じることもあります。

「配偶者の気持ちを考えていない」という声があることも承知しています。

しかし、努力しても合わないものは、どうしても合いません。

いつか、心が少し楽になる日が来る。

そう信じて、生きていくしかないのだと思っています。


そして、私も今度の火曜日は彼女とのデートです。

毎日二度、メールのやり取りはしていますが、それでも顔を見て話せる時間は、やはり特別です。

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